BGMはtaitai studioさんよりお借りしています。





走れサトシ



一気に峠を駆け降りたが、流石(さすが)に疲労し、その時から午後の灼熱(しゃくねつ)の太陽がまともに、カッと照って来て、サトシは何度かめまいを感じ、 これではいけない、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりとヒザを折った。立ち上る事が出来ないのだ。 天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天(いだてん)、ここまで突破して来たサトシよ。 真の勇者、サトシよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情けない。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならない。 おまえは、めずらしい不信の人間、まさしく王の思う壺(つぼ)だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身が萎(な)えて、もはや芋虫(いもむし)ほどにも前進出来ない。 路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に似合わないふて腐れた根性が、心の隅に巣喰った。 私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も見ていた、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。 私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を断ち割って、真紅の心臓を見せてあげたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。 けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。 私は友を欺(あざむ)いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。 これが、私の定められた運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。 私も君を、欺かなかった。私たちは、本当によい友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。 いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。 それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。 君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。 山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駆け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望まないでくれ。放って置いてくれ。 どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。 おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。 私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。 私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。 いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。 妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。 人を殺して自分が生きる。それが人間世界のルールではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。 どうとも、勝手にすればいい。――身体を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。


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